日本歴史地名大系 「頼成村」の解説 頼成村らんじようむら 富山県:砺波市頼成村[現在地名]砺波市頼成庄川の東岸、宮森(みやもり)村・権正寺(ごんしようじ)村の南にある。寛永七年(一六三〇)庄川の主流が現河道に移ったことから度重なる洪水に見舞われ、水害を防ぐための霞堤が築かれている。公家田(くげでん)・北明(きため)・公文明(くもんめ)などの小地名が残るが、中世の般若野(はんにやの)庄との関係は不詳。元和五年(一六一九)の家高帳には両所は二村として記され、「上らいしやう」と「下瀬(ママ)成」とある。上頼成は太田組に属し役家数八、下頼成は戸出又右衛門組に属し役家数一〇。正保郷帳には頼成村とあり、高一千二五石余、田方六六町四反余・畑方一町九反余、水損所と注記される。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高一千一五五石、ほかに明暦三年(一六五七)から寛文五年までの新田高五四石があり、免はともに五ツ四歩、寛文三年の新田高一九石・免四ツ四歩。小物成は山役三九四匁、鮎川役三匁(うち二匁出来)。寛文一〇年から始まる松川除(まつがわいけ)築堤によって野尻(のじり)川・中村(なかむら)川が締切られ、現庄川流路に新しい川筋がつくられて村領の西は川原となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by