額田部村(読み)ぬかたべむら

日本歴史地名大系 「額田部村」の解説

額田部村
ぬかたべむら

[現在地名]大和郡山市額田部北町・額田部南町・額田部寺ぬかたべてら

今国府いまごう村の南方、佐保・初瀬はせ川合流地北方に所在。「日本書紀」仁賢天皇六年条に「是歳、日鷹吉士、高麗より還りて、工匠須流枳てひとするき 奴流枳ぬるき等を献る。今大倭国の山辺郡の額田邑の熟皮高麗かはをしのこまは、是其の後なり」とあり、「続日本紀」天平宝字元年(七五七)七月四日条に「額田部」の地名がみえる。延長六年(九二八)一二月の内供奉十禅師禎果弟子等解(吉田文書)には「熟地参段弐百歩 四至、限東公田并道、限南道、限西蟇田中池并谷、限北岑額田部吉雄山 在八条九里卅六坪并十里一坪及里外(下略)」と記す。「和名抄」郷名では、平群へぐり郡に「額田」とし、高山寺本では「奴可多」、刊本では「奴加多」と訓ずる。また治承元年(一一七七)一〇月五日の大中臣仲子田地売券(額田宗次氏文書)に「在平群郡額田東郷玖条三里肄坪内」とみえ、西大寺田園目録(西大寺文書)にも「平群郡額田部郷内大十二歩 字額田部流」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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