奈良奉行(読み)ならぶぎょう

百科事典マイペディアの解説

奈良奉行【ならぶぎょう】

江戸幕府の職名。遠国奉行の一。奈良に駐在し,奈良の町政および大和国の司法・寺社行政などを管掌。老中に直属し,京都所司代の指揮下にあった。1613年創置。初代は興福寺衆徒中坊秀政。1664年の大和代官設置まで代官職兼務。定員1名。
→関連項目所司代

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世界大百科事典 第2版の解説

ならぶぎょう【奈良奉行】

江戸幕府の地方行政機関,遠国奉行の一つ。南都奉行ともいう。奈良町および大和一国の民政,寺社のことを管掌する。関ヶ原の戦後,はじめ大久保長安配下の奉行衆が奈良支配にあたったが,1613年(慶長18)よりかつて興福寺の被官であった中坊氏が起用され,これ以後奈良奉行の職名がおこった。しかし中坊氏の時代には,中世において大和支配の権を有していた春日社・興福寺対策にその主要な任務があり,民政上の権限は確立しておらず,また大和国内の幕領代官をも兼任するなど,制度的には過渡的な段階にあった。

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大辞林 第三版の解説

ならぶぎょう【奈良奉行】

江戸幕府の職名。遠国奉行の一つで、京都所司代の指揮下にあり、奈良にあってその行政および寺社のことをつかさどった。南都奉行。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

奈良奉行
ならぶぎょう

江戸幕府の職名。遠国(おんごく)奉行の一つ。南都奉行ともいう。17世紀初頭には大久保長安(ながやす)の下代衆が、長安失脚後は興福寺衆徒で春日(かすが)社の造営や祭礼奉行にあたっていた中坊(なかのぼう)氏が起用され、京都所司代板倉勝重(かつしげ)や金地院崇伝(こんちいんすうでん)らの指示を受けて、奈良および大和(やまと)国の民政にあたっていた。その権限は小さく、重要事項についてはほとんど上級者の指示・判断を仰いだ。奈良奉行の制度が整えられたのは1664年(寛文4)で、民政一般は奈良奉行、大和の天領支配は奈良代官と、職掌が分離された。老中支配であるが、所司代および京都町奉行と相談のうえ政務を沙汰(さた)した。芙蓉間詰(ふようのまづめ)、奈良在住、1000石高、役料1500俵、与力8騎、同心30人を付属、定員1名(1696~1702年は二人役)。[鎌田道隆]

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