平群(読み)へぐり

精選版 日本国語大辞典 「平群」の意味・読み・例文・類語

へぐり【平群】

  1. [ 一 ] 奈良県北西部にあった旧郡。古代豪族平群氏の根拠地で、中世には興福寺荘園が多かった。明治三〇年(一八九七)添下郡と合併して生駒郡となる。
  2. [ 二 ] 奈良県生駒郡の地名。南西部に信貴山があり、その中腹に朝護孫子寺がある。バラ温室栽培で有名。近年宅地化が進む。
  3. [ 三 ] 安房国(千葉県)の古郡名。近世からは平郡(へいぐん)と呼ばれ、明治三〇年安房郡に合併された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「平群」の意味・わかりやすい解説

平群(町)
へぐり

奈良県北西部、生駒(いこま)郡の町。中央を南流する竜田(たつた)川流域を中心に、生駒山地東斜面と矢田丘陵西斜面を占める。1896年(明治29)明治村が平群村に改称し、1971年(昭和46)町制施行。竜田川に沿って近畿日本鉄道生駒線と国道168号が走る。また西端の大阪府との境界に沿って信貴(しぎ)生駒スカイラインが走っている。地名は、倭建命(やまとたけるのみこと)の「命の全(また)けむ人は畳薦(たたみこも)平群の山……」(『古事記』)や『万葉集』に歌われた平群山(矢田丘陵一帯をさす)に由来する。宅地化が急速に進み、2000年ころまでは県下有数の人口急増町であった。花卉(かき)、野菜、イチゴ、ブドウ、シイタケ栽培が行われ、バラの温室栽培は全国的に有名。南西部の信貴山山腹には「信貴の毘沙門天(びしゃもんてん)」で知られる信貴山真言(しんごん)宗朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)がある。また、北西部の鳴川(なるかわ)には役行者(えんのぎょうじゃ)の開山と伝えられる千光寺(せんこうじ)がある。烏土塚(うどづか)古墳は国指定史跡。大阪府境の生駒山地一帯は金剛(こんごう)生駒紀泉国定公園の一部。面積23.90平方キロメートル、人口1万8009(2020)。

[菊地一郎]

『『平群村史』(1959・平群村)』


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改訂新版 世界大百科事典 「平群」の意味・わかりやすい解説

平群[町] (へぐり)

奈良県北西部,生駒郡の町。1971年町制。人口1万9727(2010)。町域は比較的緩やかな生駒山地東斜面,竜田川中流の平群川沿岸低地と断層崖で急な矢田丘陵西斜面からなる。古くから開けた地で,古代の豪族平群氏の本拠地で,平安前期には信貴山の中腹に《信貴山縁起》で知られる信貴山朝護孫子寺が開かれた。信貴山城が築かれ,戦国時代には松永久秀父子が拠ったが,1577年(天正5)織田信長軍によって焼かれた。水田農業と山間地域でのキクなどの花卉や,ブドウ栽培が盛んである。1969年ごろから住宅団地の開発が進み,人口が急増している。竜田川の低地を近鉄生駒線が走り大阪方面への通勤者も多い。西部に信貴生駒スカイラインが通じる。
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百科事典マイペディア 「平群」の意味・わかりやすい解説

平群[町]【へぐり】

奈良県北西部,生駒(いこま)郡の町。生駒山地の東麓にあり,町の中央を竜田(たつた)川が南北に流れる。米作のほか,切り花,野菜,果樹を産する。大規模な温室バラ園もある。竜田川沿いに近鉄生駒線が通じ,町の南西端に信貴(しぎ)山がある。住宅地化が進んでいる。23.90km2。1万9727人(2010)。

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世界大百科事典(旧版)内の平群の言及

【平野殿荘】より

…大和国平群郡(現,奈良県生駒郡平群町)の荘園。田数9町余。…

※「平群」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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