顕聖寺遺跡(読み)けんしようじいせき

日本歴史地名大系 「顕聖寺遺跡」の解説

顕聖寺遺跡
けんしようじいせき

[現在地名]浦川原村顕聖寺 牧山

東頸城丘陵を西流する保倉ほくら川右岸に臨み、後期洪積世の最も低位の段丘状の台地上、標高約五〇メートルにある縄文早期から晩期にかけての遺跡。遺跡の存在は古くから知られ、江戸時代の「運根志」「奇石産誌」に鏃石・雷斧を産出すると記された。昭和三三年(一九五八)の発掘調査により、竪穴住居跡二のほか、先土器時代の剥片石器や縄文各期にわたる土器片・石器類などが多数発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

立春から数えて 88日目で,現行暦では5月2日頃にあたる。八十八夜を過ぎればもはや晩霜も終りになるので,農家ではこれを種まきや茶摘み,その他の農作業開始の基準としている。日本では明暦3 (1657) ...

八十八夜の用語解説を読む