顕聖寺遺跡(読み)けんしようじいせき

日本歴史地名大系 「顕聖寺遺跡」の解説

顕聖寺遺跡
けんしようじいせき

[現在地名]浦川原村顕聖寺 牧山

東頸城丘陵を西流する保倉ほくら川右岸に臨み、後期洪積世の最も低位の段丘状の台地上、標高約五〇メートルにある縄文早期から晩期にかけての遺跡。遺跡の存在は古くから知られ、江戸時代の「運根志」「奇石産誌」に鏃石・雷斧を産出すると記された。昭和三三年(一九五八)の発掘調査により、竪穴住居跡二のほか、先土器時代の剥片石器や縄文各期にわたる土器片・石器類などが多数発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む