願永寺(読み)がんえいじ

日本歴史地名大系 「願永寺」の解説

願永寺
がんえいじ

[現在地名]本荘市石脇 石脇

子吉こよし川右岸の石脇いしわきの集落中にあり、真宗大谷派、広徳山と号し、本尊阿弥陀如来

亀田藩主岩城重隆の家臣小関助左衛門が仏門に入り、当寺の開基となったという。岩城重隆は寛文元年(一六六一)亀田駕籠かめだかご(現由利郡大内町)地所を与え、供仏料として八石を寄付し、文化五年(一八〇八)に当村に移った(羽陰温故誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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