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風納洞土城 ふうのうどうどじょうP'ungnap-dong t'osǒng

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

風納洞土城
ふうのうどうどじょう
P'ungnap-dong t'osǒng

韓国ソウル特別市の漢江東岸にある土城址。元来は南北約 1500m,東西 300mの長方形にめぐらされた土塁で囲まれていたが,西側半分は洪水により流失した (現在復元工事が進められている) 。 1964年の調査で,間に焼土層をはさむ上下2層の包含層が確認されたが,出土遺物にはほとんど相違がないといわれる。出土した遺物は赤褐色あるいは灰色をした叩目文のある土器 (金海式土器) と灰白色百済系土器が主である。百済の初期の都城址とする説がある。

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世界大百科事典内の風納洞土城の言及

【広州】より

…この付近は《三国志》魏書韓伝にみえる馬韓と一部で重なるようであるが,一方で後漢末以来の魏の帯方郡の所在地と推定する立場もある。後者の場合,風納洞土城は帯方郡治跡にあてられよう。百済は,馬韓諸国の一つである伯済国から古代王国に成長するが,そのころの王都は風納洞の土城を再利用したものと思われる。…

【ソウル】より


[歴史]
 ソウルの歴史は先史時代にさかのぼり,南東郊外の漢江の左岸地域には,旧石器・新石器(櫛目文土器)・青銅器(無文土器)各時代の遺跡が残る。同地域の風納洞土城は,中国,魏の帯方郡治跡もしくは三国時代百済の都城と推定される。《三国史記》によると,そのころ慰礼城ないしは漢山,漢城などと呼ばれた。…

※「風納洞土城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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