日本歴史地名大系 「風見村」の解説 風見村かざみむら 栃木県:塩谷郡塩谷町風見村[現在地名]塩谷町風見風見山田(かざみやまだ)村の東、鬼怒川左岸に位置し、東部を松(まつ)川が南流する。今宮祭祀録(西導寺蔵)によると、今宮(いまみや)神社(現氏家町)に風見村は社家役として廻楼西分二間を勤仕、また同社祭礼頭役を賀佐見郷・風見郷の賀佐見氏・君島氏・風見氏が天文一七年(一五四八)より文禄二年(一五九三)にかけて勤めている。なお天文一七年の条には二〇〇年に及ぶ同郷の頭役懈怠と記す。南北朝初期に大須賀十郎左衛門尉平嗣胤の曾孫胤重は、君島氏より当地を与えられ明神(みようじん)山に風見城を築き、居館を欠下(かけした)に構え風見氏を名乗ったという。胤重は「宇都宮興廃記」によると、観応二年(一三五一)宇都宮公綱に従い上州那波(なは)の合戦で討死、康暦二年(一三八〇)一月の裳原(もばら)(現宇都宮市)の合戦に従った者のなかに風見源右衛門がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報