飛鳥岡本宮・後飛鳥岡本宮(読み)あすかおかもとのみや・のちのあすかおかもとのみや

日本歴史地名大系 の解説

飛鳥岡本宮・後飛鳥岡本宮
あすかおかもとのみや・のちのあすかおかもとのみや

舒明・斉明両天皇の皇居。「日本書紀」によれば、舒明天皇二年一〇月、飛鳥岡のほとりに宮を移し、岡本宮といったが、同八年六月、岡本宮は焼け田中たなか宮に移った。のち斉明天皇二年夫帝舒明の宮跡に後飛鳥岡本宮を造り移ったが、同年火災に遭っている。天武天皇元年の壬申の乱の後、大海人皇子は倭京にもどりしま宮に住み、その後、岡本宮に移ったが、その年の冬、飛鳥浄御原あすかきよみはら宮を岡本宮の南に造り移った。

位置については、古くから大字岡付近に求める説があるが、飛鳥寺の北に求める考えもある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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