飯島晴子(読み)イイジマ ハルコ

20世紀日本人名事典 「飯島晴子」の解説

飯島 晴子
イイジマ ハルコ

昭和・平成期の俳人



生年
大正10(1921)年1月9日

没年
平成12(2000)年6月6日

出生地
京都府久世郡富野庄村(現・城陽市)

学歴〔年〕
京都府立第一高女〔昭和13年〕卒,田中千代服装学院〔昭和15年〕卒

主な受賞名〔年〕
馬酔木新樹賞佳作入選(3回)〔昭和37年〕,鷹賞(第1回)〔昭和41年〕,蛇笏賞(第31回)〔平成9年〕「儚々」

経歴
昭和34年能村登四郎師事。39年「鷹」創刊に参加、のち同人。60年1〜6月朝日新聞俳句時評担当、61年から1年間共同通信の俳句時評担当。叙情的な句や、言葉の組み合わせで非日常の世界を作り出す俳風で知られ、評論活動も行う。句集に「蕨手」「朱田」「春の蔵」「花木集」「八頭」「寒晴」「儚々」、俳論集に「葦の中で」「俳句発見」のほか、「飯島晴子全句集」などがある。平成12年6月老人性うつ病のため遺書を残し自殺。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯島晴子」の解説

飯島晴子 いいじま-はるこ

1921-2000 昭和後期-平成時代の俳人。
大正10年1月9日生まれ。能村登四郎(のむら-としろう)に師事し,昭和35年から「馬酔木(あしび)」に投句。39年「鷹」創刊に同人として参加。52年阿部完市と「現代俳句ノート」を発行。平成9年句集「儚々(ぼうぼう)」で蛇笏(だこつ)賞。俳句評論でも知られた。平成12年6月6日死去。79歳。京都出身。京都府立第一高女卒。句集に「蕨手(わらびで)」,評論集に「葦の中で」など。
格言など】翔(と)べよ翔べ老人ホームの干布団(「儚々」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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