飯沼助宗(読み)いいぬますけむね

改訂新版 世界大百科事典 「飯沼助宗」の意味・わかりやすい解説

飯沼助宗 (いいぬますけむね)
生没年:?-1293(永仁1)

鎌倉中期の武士平資宗飯沼平判官助宗ともいう。北条氏得宗家宰平頼綱次男検非違使,左衛門尉,安房守となる。得宗御内人。1289年(正応2)の新将軍久明親王の鎌倉下向に際し,出迎えの使者となっている。93年4月,執権北条貞時の手によって父頼綱とともに鎌倉経師ヶ谷に攻め誅せられた。《とはずがたり》の二条親交があった。
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朝日日本歴史人物事典 「飯沼助宗」の解説

飯沼助宗

没年:永仁1.4.22(1293.5.29)
生年:生年不詳
鎌倉中期の得宗被官。または資宗,平頼盛とも。内管領・平頼綱の次男。正応4(1291)年,鎌倉幕府奉行人および五方引付を指揮する立場の5人の筆頭にみえる。得宗から得たとみられる所領に円覚寺領尾張国篠木庄の領家得分のほか,下総国飯沼を領し「飯沼殿」と呼ばれ,安房守になった。得宗被官で国司の官を得ているのは異例に属し,霜月騒動後の北条貞時政権の中枢にあったが,父頼綱と共に貞時に討たれた。<参考文献>細川重男「内管領長崎氏の基礎的研究」(『日本歴史』479号)

(福島金治)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「飯沼助宗」の解説

飯沼助宗 いいぬま-すけむね

?-1293 鎌倉時代の武将
平頼綱の次男。平宗綱の弟。執権北条貞時のもとで左衛門尉(じょう)などをつとめ,下総(しもうさ)飯沼を領して安房守(あわのかみ)となる。正応(しょうおう)6年内管領(うちかんれい)の宗綱に,「父頼綱が弟助宗を将軍に擁立しようとしている」と密訴され,貞時の討っ手の急襲をうけ,4月22日父とともに自害した(平頼綱の乱)。名は資宗ともかく。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の飯沼助宗の言及

【平禅門の乱】より

…1293年(永仁1)4月22日,得宗北条貞時の差し向けた討手によって得宗御内人(みうちびと)であり得宗家の内管領(うちかんれい)である平頼綱,および次男飯沼助宗ら一族90余人が滅ぼされた事件。《保暦間記》は頼綱が助宗を将軍に立てようとした陰謀が直接の原因であるとするが,これは貞時の頼綱打倒の口実であろう。…

※「飯沼助宗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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