デジタル大辞泉 「二条」の意味・読み・例文・類語 にじょう〔ニデウ〕【二条】 五摂家の一。鎌倉中期、九条道家の子良実が二条京極に住み二条を称したのに始まる。藤原氏御子左家みこひだりけの子孫の歌道の家系。為家の子為氏を祖とし、その子為世から二条と号した。京極・冷泉れいぜい両家と対立し、保守的立場をとり、「続拾遺和歌集」以下の多くの勅撰集を撰進。室町初期に絶えた。 にじょう〔ニデウ〕【二条】 平安京の条坊の一。また、東西に通じる大路の名。二条大路。⇒二条通り 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「二条」の意味・読み・例文・類語 にじょうニデウ【二条】 二条大路、または二条通をいう。[初出の実例]「暗ういで給て二条より洞院の大路を折れ給ふほど」(出典:源氏物語(1001‐14頃)賢木) にじょうニデウ【二条】 姓氏の一つ。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「二条」の解説 二条にじよう 山梨県:東八代郡石和町四日市場村二条笛吹川と平等(びようどう)川に挟まれた平坦地にあったとみられる。天正一〇年(一五八二)六月二六日の一蓮(いちれん)寺(現甲府市)宛の徳川家寺領書立(一蓮寺文書)に、同寺末寺として石和二条長福寺八貫文とみえる。長福寺は四日市場(よつかいちば)村にあった円福寺の旧名。「天正壬午起請文」の御近習衆にみえる市川内膳が、武田氏滅亡後の天正一〇年八月一七日徳川氏によって二条分一八貫文を安堵されている(「徳川家印判状写」譜牒余録)。 二条にじよう 北海道:空知支庁岩見沢市二条[現在地名]岩見沢市二条西(にじようにし)・二条東(にじようひがし)昭和二九年(一九五四)当時、西は一五丁目、東は八丁目まであった。同三一年発行の岩見沢市街案内地図などによると、西一丁目に岩見沢農業協同組合(現JAいわみざわ)、同二丁目に北海道相互銀行岩見沢支店(現三条西の札幌銀行岩見沢支店)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「二条」の解説 二条(1) にじょう ?-? 平安時代前期の女官。仁寿(にんじゅ)-仁和(にんな)(851-889)ごろの人。源至の娘。歌が「古今和歌集」「玉葉和歌集」に収録されている。 二条(2) にじょう ⇒後深草院二条(ごふかくさいんの-にじょう) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例