日本歴史地名大系 「飯生庄」の解説 飯生庄いなりのしよう 島根県:安来市飯生庄現飯生町一帯にあった庄園で、飯成とも記す。「出雲国風土記」にみえる意宇(おう)郡飯梨(いいなし)郷が開発されて成立したとみられる。建久元年(一一九〇)四月一九日の内宮役夫工料米未済注文(吾妻鏡)に、伊勢神宮造営のための役夫工米を地頭が未進している庄園・国衙領の一つとして「出雲国飯生庄」がみえる。文永七年(一二七〇)八月二五日の色部行忍譲状(古案記録草案)において、行忍(色部公長)は子息長茂に飯生庄地頭職を譲渡し、同年一二月一四日にはこれを鎌倉幕府が承認している(「関東下知状」同書)。翌八年一一月日の杵築大社三月会相撲舞頭役結番帳にも、第五番に「飯生庄四十八丁色部右衛門尉」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by