日本歴史地名大系 「飯高郷・飯高庄」の解説 飯高郷・飯高庄ひだかごう・ひだかのしよう 奈良県:橿原市多・耳成地区飯高村飯高郷・飯高庄興福寺一乗院領荘園。応永三四年(一四二七)の一乗院昭円講師反銭納帳(天理図書館保井文庫)に「八丁二反小、飯高郷」とあり、所在は現飯高町であろう。そのほか、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に「飯高庄間田八反小垣内石蔵」とあり、興福寺大乗院領飯高庄間田も存在。これは寺僧給分(三反)・御湯行事田(五反)からなっていた。その所在は、現磯城(しき)郡田原本町大字薬王寺(やくおうじ)小字小垣内(こがいと)、大字満田(まんだ)小字上石蔵(かみいしぐら)・下石蔵と考えられ、ともに飛地となる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by