日本歴史地名大系 「餅原村」の解説 餅原村もちばるむら 宮崎県:北諸県郡三股町餅原村[現在地名]三股町餅原西流する沖水(おきみず)川の北岸に位置し、対岸は樺山(かばやま)村。持原とも記される(享保七年「先規万見合帳」後藤家文書など)。勝岡(かつおか)郷に所属(「三州御治世要覧」など)。寛文四年(一六六四)の諸県郡村高辻帳に村名がみえ、表高六一四石余。鹿児島藩直轄領として幕末に至る。旧高旧領取調帳では高四〇一石余。勝岡郷蓼池村南屋敷名頭日誌(重久家旧蔵文書)によると、大隅桜島郷士の勝岡郷への人配(百姓移住)がなされ、南屋敷名頭となった与作の長兄助兵衛は当村の友房(ともふさ)門へ入っている。なお島移り者(桜島からの移住者)と西目(にしめ)移り者(薩摩地方からの移住者)とでは、行事も墓地も別であったという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by