養寿院跡(読み)ようじゆいんあと

日本歴史地名大系 「養寿院跡」の解説

養寿院跡
ようじゆいんあと

[現在地名]熊本市紺屋今町

高田原の追廻田畑こうだばるのおいまわしたばたの南、新鍛冶屋しんかじや町にあった寺で、東は永泉えいせん寺に隣接した。万年山と号し、曹洞宗。「国誌」によれば、初めは豊前国にあり、開山は豊前国泰巌たいがん寺二世規翁摸。細川氏入国に際し、寛永一一年(一六三四)泰巌寺が八代に移された時、養寿院の二世香林(慶林とも)随伴し、ふる町の新鍛冶屋町に建立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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