日本歴史地名大系 「養母村」の解説 養母村やぼむら 鹿児島県:日置郡東市来町養母村[現在地名]東市来町養母(ようぼ)長里(ながさと)村の東に位置し、北部を八房(やふさ)川、中部を大里(おおざと)川、南部を江口(えぐち)川が南西流し、これら三河川の流域に水田が開ける。島津貞久は康永元年(一三四二)八月四日に和泉保末が伊集(いじゆう)院内自在原(つてばい)に陣し、その後谷山(たにやま)郡に陣取り合戦したことを賞している(暦応五年九月日「和泉保末軍忠状」旧記雑録)。自在原は当地の地名である。応安五年(一三七二)二月九日、市来氏一族と推定される印阿が子息次郎左衛門尉家連に譲った重代相伝の所領中に「永里名内下矢母村内牟津幾壱町」がみえ、毎年米二斗(銭三〇〇文)を惣領に支払うことが定められている(「印阿譲状」旧吉田村市来家文書)。この「牟津幾」は当地の東無月(ひがしむつき)に比定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by