日本歴史地名大系 「養郷村」の解説 養郷村ようごうむら 鳥取県:気高郡青谷町養郷村[現在地名]青谷町養郷日置(ひおき)川を挟んで奥谷(おくだに)村・山崎(やまさき)村の東、日置谷中央部の東山麓に位置する。北は潮津(うしおづ)村。正保郷帳・正保国絵図では「養向村」と記され、元禄国絵図・元禄郷帳作成の際に養郷村と改められた(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)。拝領高は一四二石余、本免は六ツ四分。「因幡志」では家数三〇。安政五年(一八五八)の村々生高竈数取調帳によると生高一六三石余、竈数二二。元文五年(一七四〇)逢坂(おうさか)谷の郡家(こおげ)村・会下(えげ)村(現気高町)など五ヵ村と草刈山入会をめぐって境界争論を起こした。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報