日中戦争の全面化以降にとられた労働力の強制動員政策。徴用制は国家総動員法のもと,国民職業能力申告令による国民登録制の整備を背景にして,1939年7月に国民徴用令が公布されて開始した。当初は申告を義務づけられた職種の技能,技術者を対象とし,職業紹介,募集などで重要産業に人員を確保できない場合は,総動員業務を行う官庁の請求により,必要に応じて徴用がなされることになっていた。しかし戦争の拡大による労働力不足の激化のため,徴用の対象は次々と拡大した。徴用の施行に際しては,当初は応召に次ぐ名誉として応ずる人の姿もみられたが,回を重ねるごとにその強制的性格と労働条件の劣悪さから不評を買い,すでに40年には2,3割の不出頭者が出た。軍隊への召集令状〈赤紙〉に対して徴用令状を〈白紙〉といって恐れる傾向が生まれたのである。
太平洋戦争開始とともに徴用制は労働力動員の〈伝家の宝刀〉として全面的に発動され,その対象の多くは平和産業,中小商工業者の転・廃業労働力であった。とくに1942年の企業整備令で,多くの中小企業は軍需産業への転換が不可能だとして強引な統廃合の対象となり,徴用すべき転・廃業労働者群が出現した。徴用制の拡張は43年の国民職業能力申告令と国民徴用令の第3次改正で頂点に達し,国家が必要と認める場合には,いかなる職種の技能,技術者でも指定の職場に徴用でき(新規徴用),また特定企業・業務の従業者を事業主もろとも徴用(現員徴用)することが可能となった。44年3月には一般労働力に占める徴用労働者は2割にも達したのである。しかし労働力の供給源としての徴用制の拡大も1943年度ころから限界をみせ,いくら役所が出頭命令を発しても徴用数を確保できなくなった。政府は労働力の枯渇に対処するため,徴用のほかに学生・生徒や女子など未熟練労働力の強制動員(勤労動員,女子挺身隊),さらには強制連行による朝鮮人や中国人の動員に躍起になる。太平洋戦争終結時の被徴用者は新規徴用161万,現員徴用455万名,計616万名であった。
執筆者:粟屋 憲太郎
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第二次世界大戦下の国家総動員体制のもとで、労働力を軍需会社へ強制的に動員したことをいい、これの対象者を徴用工といった。1938年(昭和13)の国家総動員法は、戦時の必要に即して国民だれでもを業務に従事させることができると定め、翌1939年の国民徴用令はこれを具体化した。政府は、軍需会社に対し、徴用工の使用、解雇、従業、退職、給与その他に関して必要な命令を出すことができるとされ、また、労務管理についての指導監督は、厚生省の労務管理官から軍需省の管理官に統合された。徴用工は、実際には勤労者からなり、小売商人をはじめ中小商工業の従業員や未経験工がその多くを占めた。実質賃金は、労働の対価としての賃金の否定されたもとで1938年以降毎年低下した。労働者の移動は禁止され、労働強化が徴用の名において公然と行われた。このため、高率の欠勤をはじめ、職場における怠業、証明書の虚偽による徴用の回避などの自然発生的な反抗が少なくなかった。
[三富紀敬]
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