青谷町
あおやちよう
面積:六七・九一平方キロ
気高郡の西半を占める。古くは因幡国気多郡に属し、伯耆国境に位置していた。東は佐谷峠から日本海へ突き出した長尾鼻に続く尾根で気高町・鹿野町と、南は小富士山(七六八・八メートル)などの山で東伯郡三朝町と、西は川上峠・鉢伏山(五一三・九メートル)から北に延びる尾根で同郡東郷町・泊村と接し、北は日本海に臨む。町域北部の日本海沿岸をJR山陰本線と国道九号(旧伯耆街道)がほぼ並行して東西に走り、国道九号から分れて日置川流域の日置谷を県道俵原―青谷線、勝部川流域の勝部谷を川上―青谷停車場線がそれぞれ南下する。町面積の約六〇パーセントを山地が占めている。
古墳は海岸部に多く、日置川流域の早牛、勝部川流域の鳴滝以北に分布が密である。なかでも吉川四三号墳・阿古山二二号墳は石室に線刻壁画をもつ古墳として知られる。古代律令制下では、気多郡日置郷・勝部郷(和名抄)の郷域であったと考えられ、早牛の利川神社、絹見の幡井神社は「延喜式」神名帳に記載される気多郡の同名社にそれぞれ比定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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