館岡村(読み)たておかむら

日本歴史地名大系 「館岡村」の解説

館岡村
たておかむら

[現在地名]木造町館岡

屏風山(びようぶさん)砂丘の東部末端に位置し、西に大溜(おおため)池・野崎(のざき)池、その向うに平滝(ひらたき)沼がある。北は亀ヶ岡(かめがおか)村、南は大湯町(おおゆまち)村、東は田圃と山田(やまだ)川を隔てて再賀(さいか)村(現稲垣村)に通じる。

森内左兵衛家記(津軽歴代記類)によれば、寛永元年(一六二四)二代藩主津軽信枚が亀ヶ岡城の縄張りに際し、館岡村に数日間逗留したとある。この時はまだ亀ヶ岡村の支村であったと思われる。貞享四年(一六八七)の検地帳によれば「亀岡村枝村館岡村」とあり、田畑屋敷合せて一五町四反六畝六歩、村高五六・九八五石とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む