館開村
たちひらきむら
[現在地名]志賀町館開
火打谷村の北東にあり、南は眉丈山系の山地。中央の舌状台地上に得田保の地頭得田氏が拠った館跡があり、同氏菩提寺道興寺がその南にある。地名は館跡を開いてできた村の意という(三州志)。天正一九年(一五九一)一〇月二六日の前田利家印判状(能登国古文書)に「二千四百四十三俵七升五合 徳田ノ内乙開・仏木・館村」とあり、「加能郷土辞彙」は「館」は館開、「乙開」は館開の小字中開のこととする。しかし同一七年六月二日の徳田庄検地打渡状(諸家文書)では「徳田庄之内おと村ひらき仏木村」として八六町四反余が打出されており、「おと村」と「ひらき」が合併して乙開となり、乙開と館が合併して館開村になったとみる説もある(志賀町史)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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