日本歴史地名大系 「饒辺村」の解説 饒辺村ぬひんむら 沖縄県:沖縄島中部与那城町饒辺村[現在地名]与那城町饒辺(のへん)屋慶名(やきな)村の南、勝連(かつれん)半島端近くにあり、南西は勝連(かつちん)間切平敷屋(ひしちや)村(現勝連町)。ヨヘンともよばれる。絵図郷村帳には勝連間切のうちに「によへん村」とある。饒辺は与那城(ゆなぐしく)間切の夫地頭(饒辺大屋子)のオエカ地であり(琉球国由来記)、脇地頭は置かれていないものの、実際には設置されているのと同じである。里積記によれば田畑とも下の村位。乾隆四一年(一七七六)には屋慶名・安勢理(あせり)・饒辺の三ヵ村にある天水田三万五千坪余に平安座(ひやんざ)村前名嘉村親雲上らにより灌漑用水路が築かれた(「球陽」尚穆王三二年条)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by