20世紀日本人名事典 「香川勝広」の解説 香川 勝広カガワ カツヒロ 明治期の彫金家 東京美術学校教授。 生年嘉永6年10月(1853年) 没年大正6(1917)年1月15日 出生地江戸・下谷簞笥町 別名号=清了軒 経歴13歳で喜多流の面師有吉長門正の門に入ったが辞し、野村勝守に改めて彫金を学ぶ。明治8年独立。21年加納夏雄の門に入り更に修業。23年第3回内国勧業博覧会で妙技2等賞受賞。36年宮内省より重量二十貫の銀花盛に金象嵌鳳凰の彫刻を拝命、わが国彫金界未曾有の大作として前代未聞の御賞詞を賜う。31年東京美術学校教授、39年帝室技芸員。代表作に「和歌浦図額」「鳳凰高彫花盛器」「猿猴図額」など。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「香川勝広」の解説 香川勝広 没年:大正6(1917) 生年:嘉永6(1853) 明治時代の金工家。加納夏雄に彫金を学び,柴田是真に絵を習った。夏雄風の堅実な片切彫りを基調としながらも,柔らかみや渋さといった様々な味わいの幅広い彫技を兼ね備えた。代表作に「和歌浦図額」「鳳凰高彫花盛器」(いずれも宮内庁蔵),「猿猴図額」(東京国立博物館蔵),「柿形合子」(東京芸大蔵)などがある。明治工芸の特色のひとつに,宮内省型とも称される,高価な材料を使って熟達した彫技の格式張った独特な作風があるが,勝広のこれらの作品はその典型を示す。明治40(1907)年に帝室技芸員に推挙された。 (加島勝) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「香川勝広」の解説 香川勝広 かがわ-かつひろ 1853-1917 明治-大正時代の彫金家。嘉永(かえい)6年10月生まれ。野村勝守,加納夏雄に彫金術を,柴田是真に画をまなぶ。明治31年東京美術学校(現東京芸大)教授となる。のち帝室技芸員。大正6年1月15日死去。65歳。江戸出身。本姓は稲川。通称は幸次郎。号は清了軒。作品に「和歌浦図額」「猿猴図額」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by