馬伏塚城跡(読み)まむしづかじようあと

日本歴史地名大系 「馬伏塚城跡」の解説

馬伏塚城跡
まむしづかじようあと

[現在地名]浅羽町浅名

小笠山おがさやま丘陵の西端、岡山おかやま地区の南に突き出した丘陵上にある戦国期の城跡。文亀元年(一五〇一)遠江に侵攻した今川方と、遠江守護斯波氏・信濃小笠原氏の連合軍との間で激戦となったが、その際、本間宗季が馬伏塚城合戦などでの戦功を上申している(永正七年三月二〇日「本間宗季軍忠状写」本間文書)。この頃の当城の守将は永正七年(一五一〇)と推定される一一月一日付朝比奈泰熙書状(大沢文書)にみえる小笠原右京進、すなわち遠江小笠原氏の春茂と考えられる(天文一一年一〇月二六日「小笠原春茂寄進状」華厳院文書)。その後も城主は遠江小笠原氏であったと考えられ、天文一三年(一五四四)頃からは春茂の子息美作守氏興となっている(同年七月一日「小笠原氏興寄進状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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