馬原村(読み)まばるむら

日本歴史地名大系 「馬原村」の解説

馬原村
まばるむら

[現在地名]天瀬町馬原

現町域の北部、玖珠くす川右岸の一帯を村域とする。地内の草三郎そうさぶろうに貞和三年(一三四七)銘の大神宮五輪塔婆(県指定文化財)寺山てらやまには同五年銘の国東塔高倉たかくらには永徳元年(一三八一)宝篋印塔が残り、また岩松いわまつみねには天武天皇九年(六八一)八幡神が来現したという伝承がある(日田造領記)

慶長六年(一六〇一)の予州替地御知行所目録(佐伯藩政史料)に村名がみえ、高九三一石余。同七年の玖珠郡日田郡御蔵入目録(同史料)では物成二〇八石余のうち米三五石余・豆七九石余・稗六七石余・蕎一三石余・粟九石余などとなっている。同一〇年の検地目録帳(同史料)では田数四四町余・畠数五〇町六反余。慶長豊後国絵図にみえる「□原村」は村高からして当村と考えられる。正保郷帳では田高四六一石余・畑高四六九石余、刃連ゆきい郷に属し、茅山有とある。寛文四年(一六六四)の小川代官支配高帳(長野家文書)では免二ツ四分七厘で、永荒二一八石余に上っている。享保八年(一七二三)の日田郡毛付高帳(千原家文書)では毛付高七六〇石余、新田畑二九石余。同一〇年の村明細帳(高倉家文書)によれば、村高のうち一五〇石ほどは当村の水呑・小高の者や他村からの入作で、田畑肥は刈敷・糞尿を用いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報