馬淵庄・馬淵市(読み)まぶちのしよう・まぶちいち

日本歴史地名大系 「馬淵庄・馬淵市」の解説

馬淵庄・馬淵市
まぶちのしよう・まぶちいち

馬淵庄は江戸期の馬淵村・千僧供せんぞく村・岩倉いわくら村・長福寺ちようふくじ村付近に比定される(輿地志略)。馬淵城は当庄を本拠とした佐々木氏一族馬淵氏の居館とされ、当地には室町後期より馬淵市が成立している。

〔馬淵庄〕

承久三年(一二二一)六月一〇日の尊長所領譲状案(華頂要略)に「馬淵庄」とみえ、法勝ほつしよう(跡地は現京都市左京区)執行尊長から西山宮(道覚親王)に譲られている。鎌倉初期の近江守護佐々木定綱の五男広定は、当地を領して馬淵氏を号するが(正応本佐々木系図)、「吾妻鏡」建保六年(一二一八)一一月五日条によると、長男広綱は将軍源実朝から「松伏別符」を与えられ、これが当庄のことともいわれる(八日市市史)。馬淵氏の家督は広定以後、公綱―僧宗源―範綱―義綱と相伝され、建治元年(一二七五)九月一四日の関東御教書(案、胡宮神社文書)を一〇月七日に施行した公綱(「左衛門尉公綱書下」同文書)をはじめ、室町期まで度々近江守護代の地位についている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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