馬淵村(読み)まぶちむら

日本歴史地名大系 「馬淵村」の解説

馬淵村
まぶちむら

[現在地名]近江八幡市馬淵町

千僧供せんぞく村の西にあり、村のほぼ中央を中山道が通る。枝郷に新在家しんざいけ七ッ屋ななっやがある。村内の小字地名には古代の条里の遺称とされる坪地名が多く残り、小字くらまちは古代蒲生がもう篠田しのだ(和名抄)の正倉院跡と考えられ、馬見岡まみおか神社は「延喜式」神名帳にみえる蒲生郡の同名社に比定される。中世、馬淵庄の遺称地。佐々貴氏の一族で代々沙沙貴ささき神社(現蒲生郡安土町)神職を勤めた木村氏の居館跡や室町時代馬淵氏が拠った馬淵城跡などがあり、中世末には馬淵商人が活躍、当地には市庭も設けられた。


馬淵村
まぶちむら

[現在地名]静岡市馬渕まぶち一―四丁目・泉町いずみちよう黒金町くろがねちよう

川辺かわなべ村の東に位置する。貞治二年(一三六三)六月六日の今川範国書下(写、諸家文書纂)、文安元年(一四四四)三月二七日の駿河守護今川範忠書下(写、判物証文写)、永正六年(一五〇九)九月六日の今川氏親判物(写、駿河志料)は、いずれも足利尊氏子息竹若の菩提所宝樹ほうじゆ院に所領を安堵しており、なかに「馬淵御堂屋敷」二段がみえる。元亀二年(一五七一)三月四日の武田信玄判物(孕石文書)と天正五年(一五七七)閏七月一二日の武田勝頼判物(写、土佐国蠧簡集残篇)では、孕石元泰の所領が安堵されており、なかに馬淵のうち二貫文がみえ、庵原被官永地と注記される。慶長九年(一六〇四)三月、龍泉りゆうせん(徳川秀忠の母西郷局墓所宝台院の旧号)駿河府中で三〇石を寄進された(「徳川家康朱印状写」宝台院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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