馬篠村(読み)うましのむら

日本歴史地名大系 「馬篠村」の解説

馬篠村
うましのむら

[現在地名]大内町馬篠

北は播磨灘に面し、西の青木あおき海岸から東の北山きたやま岬まで砂浜と磯が交互に連なる。背後に北山(二二六・三メートル)が迫り、平地はほとんどない。近くの海上にきぬ島・丸亀島が浮ぶ。好漁場に恵まれ沿海漁業が盛んであった。志度しど街道が鶴羽つるわ(現津田町)から当村に入り、馬篠峠を越えて小砂こざれ村に通じていた。また北山を越えて小磯こいそ村に通ずる道があった。寛永国絵図では入野にゆうのや郷に含まれる。寛永一七年(一六四〇)の生駒領高覚帳による高一八六石余。延宝三年(一六七五)の反別一四町七反余(山崎文書)年貢三本松さんぼんまつ御蔵に納めた。寛永一九年の小物成は綿一三三匁一分(高松領小物成帳)。寛政四年(一七九二)の藍作付面積二畝(日下文書)。文化一一年(一八一四)の甘蔗作付面積九町二反(同文書)、文政年間(一八一八―三〇)の砂糖絞車数二六(「砂糖車数調帳」大内町史)、元治元年(一八六四)三殿みどの村砂糖会所の出会所が置かれ、引請人に河野竹之助が任ぜられた(大内町史)灌漑は多くの小溜池によった。池泉合符録によると四三池のうち水掛高九八石余の坂之下池が最大で、夏木南谷池が一三石五斗余である以外は一〇石未満の池ばかりである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android