駿河丸城跡(読み)するがまるじようあと

日本歴史地名大系 「駿河丸城跡」の解説

駿河丸城跡
するがまるじようあと

[現在地名]大朝町大朝 間所

寒曳かんびき山南麓に延びる低丘陵上に位置し、大朝盆地を治める居館的な城であった。間所まどころ城・平家丸へいけまるとも称した。正和二年(一三一三)吉川経高が駿河国入江いりえ吉川きつかわ(現静岡県清水市)から大朝本庄に下向して築城したといわれる。以後、経盛・経秋・経見が居城したが、南北朝末期、新庄の小倉山しんじようのおぐらやま城へ本拠を移したため本城としての役割は終わったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 空堀 本丸 新庄

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む