駿河丸城跡(読み)するがまるじようあと

日本歴史地名大系 「駿河丸城跡」の解説

駿河丸城跡
するがまるじようあと

[現在地名]大朝町大朝 間所

寒曳かんびき山南麓に延びる低丘陵上に位置し、大朝盆地を治める居館的な城であった。間所まどころ城・平家丸へいけまるとも称した。正和二年(一三一三)吉川経高が駿河国入江いりえ吉川きつかわ(現静岡県清水市)から大朝本庄に下向して築城したといわれる。以後、経盛・経秋・経見が居城したが、南北朝末期、新庄の小倉山しんじようのおぐらやま城へ本拠を移したため本城としての役割は終わったと伝える。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「駿河丸城跡」の解説

するがまるじょうあと【駿河丸城跡】


吉川氏城館跡(きっかわしじょうかんあと)

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報