国指定史跡ガイド 「吉川氏城館跡」の解説
きっかわしじょうかんあと【吉川氏城館跡】
広島県山県郡北広島町にある城館跡。指定名称は「吉川氏城館跡 駿河丸城跡(するがまるじょうあと) 小倉山城跡(おぐらやまじょうあと) 日山城跡(ひのやまじょうあと) 吉川元春館跡(きっかわもとはるやかたあと)」。駿河国(静岡県東部)を本拠としていた吉川氏は、鎌倉時代末期に安芸国大朝本庄(現北広島町大朝)に地頭として入り、室町時代には安芸国の北部を中心とする地域を治める国人領主となった。中世安芸北部の国人領主吉川氏に関わる城跡や館跡、寺院などは、吉川氏城館跡として1986年(昭和61)に国の史跡に指定された(ほかに、松本屋敷跡、万徳院跡、洞仙寺跡、西禅寺跡、常仙寺跡が含まれる)。町内間所の駿河丸城跡は、1313年(正和2)に吉川経高(つねたか)が地頭として入った際に築城したとされる、低丘陵を利用した城跡である。新庄にある小倉山城跡は15世紀前半に経見(つねはる)によって築かれたとされ、興経(おきつね)が日山城を築くまで吉川氏の本拠として使われていたもので、切り土・盛り土による典型的な中世山城である。同じく新庄の日山城跡は、1545年(天文14)ごろの築城と考えられており、標高705m、比高300~400mの山上にあり、本拠城として機能した。多くの郭(くるわ)が配され、各所に石垣や石塁が用いられている。海応寺にある吉川元春館跡は、1583年(天正11)ごろ、元春が隠居所として建てたもので、土塁と石垣で区画され、間口110m、奥行き80m。便所・湯殿・台所などの建物跡や庭園、井戸などの施設が見つかっている。なお、2002年(平成14)には、庭園が吉川元春館跡庭園として国の名勝に指定されている。小倉山城跡は歴史公園として整備されており、また吉川元春館跡は一部が復元修復され、隣接して「戦国の庭 歴史館」がある。駿河丸城跡へは、浜田自動車道大朝ICから車で約15分。小倉山城跡へは、浜田自動車道大朝ICから車で約5分。日山城跡へは、中国自動車道千代田ICから登山口まで車で約15分。吉川元春館跡へは、中国自動車道千代田ICから車で約20分。