日本歴史地名大系 「高倉宮御所跡」の解説 高倉宮御所跡たかくらのみやごしよあと 京都市:中京区初音学区曇華院前町高倉宮御所跡後白河天皇第二皇子で平氏討伐の令旨を発したことで知られる以仁王の御所跡。「帝王編年記」に「三条北、高倉西」とあり、「平家物語」巻四にも「三条高倉にましましければ、高倉の宮とぞ申ける」と記す。三条大路北、高倉小路西の地が方一町とすれば、現曇華院前(どんげいんまえ)町東側を中心に、東片(ひがしかた)町・菱屋(ひしや)町の一部を含む地域である。なお「山城名勝志」は「平家物語」に続けて「三条面有総門、高倉面有小門ト見ユ」とあるが、典拠は不詳。以仁王は治承四年(一一八〇)源頼政の勧めにより、平氏討伐の令旨を全国に発するが、すぐに発覚。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by