高光城跡(読み)たかみつじようあと

日本歴史地名大系 「高光城跡」の解説

高光城跡
たかみつじようあと

[現在地名]神石町高光 下郷

高光川によって開けた小沖積地に面する太鼓たいこ山の中腹にあり、南面し、本城のほか周囲に三ヵ所の出丸を配する。南北朝期に福永ふくながを本拠地とする高尾氏の一族九郎次郎元行が築城したと伝え、その後康正年中(一四五五―五七)宮五郎左衛門尉が入城し代々居城、のちに宮野氏を名乗ったという。天文二三年(一五五四)毛利対尼子の合戦場となり、時の城主宮野五郎左衛門は討死している(西備名区、神石郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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