…そのため37年(寛永14)子勝家のとき島原の乱が勃発し,翌38年勝家は改易となった。同年遠江浜松より高力(こうりき)忠房が4万石で入封,以降島原藩は譜代藩領となる。忠房はもっぱら島原の乱後の復興策にあたり,盛んに住民を招致して百姓経営数の確保につとめたが,68年(寛文8)子の高長のとき改易となり,代わって翌69年丹波福知山より松平忠房が入封した。…
…1590年(天正18)堀尾吉晴が浜松城で12万石を領したが,幕藩体制下の藩としては1601年(慶長6)松平(桜井)忠頼が5万石で入封して始まる。その後徳川頼宣の付家老水野重央を経て,19年(元和5)高力忠房が3万石で入封,25年(寛永2)1500石,34年5000石加増。38年に転封したが,この間に城下町の本格的な町割りが行われ,領内検地や新田開発も進んだ。…
※「高力忠房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」