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高力忠房 こうりき ただふさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

高力忠房 こうりき-ただふさ

1584-1656* 江戸時代前期の大名。
天正(てんしょう)12年生まれ。高力正長の子。慶長13年(1608)祖父高力清長の跡をついで武蔵(むさし)岩槻(いわつき)藩(埼玉県)藩主高力家2代となる。遠江(とおとうみ)(静岡県)浜松藩主をへて,寛永15年(1638)肥前島原藩(長崎県)藩主高力家初代。4万石。島原の乱で荒廃した農村の復興につくした。明暦元年12月11日死去。72歳。初名は忠長。通称は左近。

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世界大百科事典内の高力忠房の言及

【島原藩】より

…そのため37年(寛永14)子勝家のとき島原の乱が勃発し,翌38年勝家は改易となった。同年遠江浜松より高力(こうりき)忠房が4万石で入封,以降島原藩は譜代藩領となる。忠房はもっぱら島原の乱後の復興策にあたり,盛んに住民を招致して百姓経営数の確保につとめたが,68年(寛文8)子の高長のとき改易となり,代わって翌69年丹波福知山より松平忠房が入封した。…

【浜松藩】より

…1590年(天正18)堀尾吉晴が浜松城で12万石を領したが,幕藩体制下の藩としては1601年(慶長6)松平(桜井)忠頼が5万石で入封して始まる。その後徳川頼宣の付家老水野重央を経て,19年(元和5)高力忠房が3万石で入封,25年(寛永2)1500石,34年5000石加増。38年に転封したが,この間に城下町の本格的な町割りが行われ,領内検地や新田開発も進んだ。…

※「高力忠房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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