高安 六郎
タカヤス ロクロウ
明治〜昭和期の演劇評論家,医師,能楽研究家
- 生年
- 明治11(1878)年12月12日
- 没年
- 昭和34(1959)年1月21日
- 出生地
- 大阪
- 別名
- 号=吸江,弱法師
- 学歴〔年〕
- 東京帝国大学医科大学卒
- 学位〔年〕
- 医学博士
- 経歴
- 大学卒業後ドイツに留学。帰国後は家業を継いで高安病院内科医長に。そのかたわら中村贋次郎らと交遊を結び、能、歌舞伎、文楽など伝統芸能の各分野にわたって評論活動をし、自ら観世流の謡曲を修めた。能楽資料の収集・研究面でも有名。昭和22年四ツ橋文楽座での初の天覧文楽のさいには解説を務めた。また、関西芸能界の長老として親しまれ、日本演劇協会関西支部長など公職多数兼任。著書に「光悦の謡本」。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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高安六郎 たかやす-ろくろう
1878-1959 明治-昭和時代の医師,演劇評論家。
明治11年12月12日生まれ。高安月郊の弟。ドイツ留学ののち高安病院で内科医長をつとめる。初代中村鴈治郎(がんじろう)らとまじわり,歌舞伎,文楽など伝統芸能について評論活動をおこなった。昭和34年1月21日死去。80歳。大阪出身。東京帝大卒。号は吸江,弱法師。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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