日本大百科全書(ニッポニカ) 「高岡藩」の意味・わかりやすい解説
高岡藩
たかおかはん
下総(しもうさ)国香取(かとり)郡高岡(千葉県成田(なりた)市)に存在した藩。藩祖井上政重(まさしげ)は大目付(おおめつけ)の職にあった1640年(寛永17)に加増され、高1万石(のち1万3000石)となり藩屏(はんぺい)に列した。その後、政清(まさきよ)(1万1500石)・政蔽(まさあきら)(以下1万石)・正鄰(まさちか)・正森(まさもり)・正国(まさくに)・正紀(まさのり)・正滝(まさたき)・正域(まさくに)・正和(まさかず)・正順(まさなり)と相続して廃藩。高岡村には政蔽の代に耕地8反3畝(せ)余歩をつぶし陣屋が新設された。正国は奏者番(そうじゃばん)を勤めた。藩校学習館は正和の代1862年(文久2)に江戸藩邸内に設置。領地は両総に分散し、早くから財政難で苦しんだ。1871年(明治4)廃藩、高岡・新治(にいはり)・茨城県を経て千葉県に編入された。
[大谷貞夫]