高島 愛子
タカシマ アイコ
- 職業
- 女優
- 生年月日
- 明治37年 7月
- 出生地
- 山口県 長府町
- 学歴
- 東京府立第三高女卒
- 経歴
- 大正13年小笠原プロダクションに入り「海賊島」でデビュー。同年10月日活京都入社。「青春の歌」に鈴木伝明と共演。三枝源次の連続活劇「世界の女王」に主演、馬やオートバイに乗って日本初の冒険女優を演じた。しかし奇行が目立ち14年退社。15年高松プロ、次いで近藤経一の特作映画社「極楽島の女王」で復活。昭和2年阪妻立花ユニヴァーサル連合映画でモダンガールぶりを発揮。同年日活大将軍で「熱血児」に出演して退社した。その後、外交官と結婚して渡欧するが、半年で離婚され、早発性痴呆で入院生活を送る。11年6月16日大津市郊外を通過中の関院宮の自動車に、紙で包んだ二銭銅貨を投げつけた。戦争末期、空襲下の東京で没したといわれる。
- 没年月日
- ?
- 家族
- 父=高島 北海(画家)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
世界大百科事典(旧版)内の高島愛子の言及
【活劇映画】より
…これらの映画はときに〈猛闘劇〉と呼ばれ,鈴木伝明は学生出身のスポーツ俳優第1号とされ,続く浅岡信夫は陸のスポーツ俳優,広瀬恒美は海のスポーツ俳優と称されて,浅岡信夫はみずから監督もした。ほかに,全26巻の連続活劇《世界の女王》(1925)で馬やオートバイを疾走させ和製パール・ホワイトといわれた冒険女優・高島愛子,《奮闘児》(1926),《鉄血団》(1928),《大学の鉄腕児》(1931)などのスポーツ俳優・東郷久義,《街の旋風児》(1932),《摩天楼の顔役》,《熱血拳闘王》(ともに1933)などで〈昭和の鳥人〉といわれたハヤブサ・ヒデト(隼秀人)がいる。 これらの作品には外国映画を模倣したものが数多く,ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の《暗黒街》(1927),《非常線》(1928),《紐育の波止場》(1929),ジョン・フォード監督の《三悪人》(1925),ハワード・ホークス監督の《暗黒街の顔役》(1930,32)などが大きな影響を与えており,それはさらに[ギャング映画]の流行となって,村田実監督,中野英治主演《摩天楼》(〈争闘篇〉1929,〈愛欲篇〉1930),田坂具隆監督,小杉勇主演《昭和新撰組》(1932),小津安二郎監督,岡譲二主演《非常線の女》(1933)などを生み出した。…
※「高島愛子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」