20世紀日本人名事典 「高島益郎」の解説
高島 益郎
タカシマ マスオ
昭和期の外交官 最高裁判事;元・駐ソ大使;元・外務事務次官。
- 生年
- 大正8(1919)年10月6日
- 没年
- 昭和63(1988)年5月2日
- 出生地
- 宮城県
- 学歴〔年〕
- 東京帝大法学部政治学科〔昭和16年〕卒
- 経歴
- 昭和16年外務省入省。その後、陸軍主計少尉に応召、北朝鮮で終戦を迎え、捕虜としてソ連に抑留される。ウラル山脈のラーゲルでの強制労働の際、凍傷で手足の一部を失うなど辛酸をなめた。帰国後は条約局長、アジア局長、駐オランダ大使などを経て、54年外務事務次官に就任。56年5月の日米共同声明の「同盟関係」解釈をめぐる紛糾の責任をとり、当時の伊東外相とともに同年7月に辞職、外務省顧問となる。その後、57年2月から59年7月まで駐ソ大使を務め、同年12月最高裁判事に就任。60年7月の「衆院定数訴訟」、61年6月の「北方ジャーナル訴訟」などに関与した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報