朝日日本歴史人物事典 「高木春山」の解説
高木春山
生年:生年不詳
江戸後期の博物家。名は以孝。江戸下目黒長峰町に住み,諸侯の御用達が家業だったが,国産振興のために本草学を志して曾槃に学んだという。20年余をかけ,万金を投じて目指したのは,日本の動植物の総合図譜『本草図説』だったが,業なかばで没した。現存するのは未定稿と補遺を含めて195冊だが,十分に研究されてはいない。春山は江戸時代にはまったく無名で,明治16(1883)年の水産博覧会に『本草図説 水産部』ほかが出品されて初めて名が知られた。
(磯野直秀)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報