ハウスクネヒト(読み)はうすくねひと(英語表記)Emil Hausknecht

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハウスクネヒト」の意味・わかりやすい解説

ハウスクネヒト
はうすくねひと
Emil Hausknecht
(1853―1927)

東京帝国大学で初めて教育学を講じたドイツの教育者。プロイセンで生まれ、ベルリン大学卒業後ギムナジウムの外国語教師であったが、1887年(明治20)から1890年までの間、帝国大学招雇教師として滞日した。滞日中は、ドイツ語と教育学の講義のほか、特約生(一部学資援助を受け、卒業後中等教育教員となることを約した学生)教育学科の指導、大阪・神戸・山口の学校視察、講演、『山口高等中学校改正規則』『教育学汎論(はんろん)』などを著し、おもに中等教員養成に貢献した。また、彼の教えを受けた谷本富(とめり)(1867―1946)、湯原元一(もといち)(1863―1931)らによって、のちにヘルバルト教育学が隆盛となり、ヘルバルト学説導入の発端となった。帰国後は、中学校長や語学教師として活動をし、ロンドンで死去した。

[藤原敬子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハウスクネヒト」の意味・わかりやすい解説

ハウスクネヒト
Hausknecht, Emile

[生]1853
[没]1927. ロンドン
ドイツ人の教育家,日本にヘルバルト派教育学を導入した功績者。ベルリン大学で語学,歴史学を学び,1879年卒業。ギムナジウムの教師をつとめるかたわらイギリス,フランスに遊学,また教育制度の調査にも従事した。 87年プロシアの文部大臣フォン・ゴスラーの推挙を得て来日し,東京帝国大学でドイツ語と教育学を教えた。その間ドイツのホーヘ・レーレルゼミナールの制度にヒントを得た中等教員養成課程の設置を建言。 99年これがいれられて帝国大学文科大学に特約生教育学科が設けられ,その教育学の講義を担当した。おもに W.ライン,ケルン,G.A.リントナーなどヘルバルト学派の教育説を講じ,谷本富,湯原元一,稲垣末松らの教育学者を育てた。 1900年任期満了して離日。帰国後はキールのオーベル・レアルシューレの校長,ローザンヌ大学の英語・英文学の教師などをつとめた。

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