高柳豊三郎(読み)タカヤナギ トヨサブロウ

20世紀日本人名事典 「高柳豊三郎」の解説

高柳 豊三郎
タカヤナギ トヨサブロウ

明治期の実業家 名古屋商業学校校長。



生年
文久2年(1862年)

没年
明治45(1912)年2月22日

出身地
肥前国佐賀(佐賀県)

学歴〔年〕
商法講習所(現・一橋大学)卒

経歴
もと肥前佐賀藩士で、外国貿易商に入り、ついで三井物産に入社して上海香港で活躍。明治23年神戸商業学校校長、のち名古屋商業学校校長に就任して大いに学風を刷新した。その後再び実業界に戻り、日本郵船に入り天津・香港・上海などの支店に勤務し、33年病を得て帰国、42年「読売新聞発行所の日就社社長となった。この間、同郷の本野子爵の推薦で読売新聞社長も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高柳豊三郎」の解説

高柳豊三郎 たかやなぎ-とよさぶろう

1862-1912 明治時代の実業家。
文久2年生まれ。もと肥前佐賀藩士。商社員であったが,明治23年神戸商業学校長,ついで名古屋商業学校長となる。ふたたび実業界にもどり日本郵船勤務をへて,42年「読売新聞」発行所の日就社社長となった。明治45年2月22日死去。51歳。商法講習所(現一橋大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android