朝日日本歴史人物事典 「高梨兵左衛門」の解説
高梨兵左衛門(23代)
生年:寛延2(1749)
江戸中期の醤油醸造家。下総国野田(千葉県野田市)生まれ。名は信芳。高梨家は古くから野田の「豪族」として知られた家柄であるが,醤油醸造業を始めたのは19代兵左衛門の下,寛文期のことといわれている。23代兵左衛門は,明和1(1764)年に同じく野田の茂木七郎右衛門家(当主は23代兵左衛門の実兄)と醸造蔵経営の合併を行うが,同8年の暴風雨と火災による損害を期に再び経営を分離。以後,安永1(1772)年に醸造蔵(元蔵)を新築し元石500石を製造,さらに天明2(1782)年に新蔵(出蔵)を増設した。高梨家の製品はジョウジュウ印として知られ,幕末には最上醤油の呼称を幕府から許されているが,その基礎はこの23代によって築かれたといえよう。天明3年の大飢饉に際しては,施米2000石を行い永世苗字帯刀が許された。 高梨家の元石高はその後,天保3(1832)年4300石,明治22(1889)年8000石弱と増大し,同じく野田の茂木佐平治,茂木七郎右衛門家と並んで,幕末から明治大正期に至るまで全国でも最有力の醤油醸造家として君臨した。大正6(1917)年,28代兵左衛門のとき茂木6家および中野家と醤油経営を合同し,野田醤油株式会社(戦後にキッコーマンに改称)を設立。以後,高梨家は株主および取締役として,同社経営に参画している。<参考文献>『野田醤油株式会社二十年史』,佐藤真編「野田の醤油経営史料集成」(『野田市文化財報告』6号)
(谷本雅之)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報