高津鍬三郎(読み)タカツ クワサブロウ

20世紀日本人名事典 「高津鍬三郎」の解説

高津 鍬三郎
タカツ クワサブロウ

明治期の教育家,国文学者



生年
元治1年(1864年)

没年
大正10(1921)年11月23日

出生地
愛知県

学歴〔年〕
東京帝大文学部和文科〔明治22年〕卒

経歴
明治23年一高教授となり、翌24年東京帝大文科大学講師を嘱託、27年より同助教授を兼ねた。のち文部省図書審査官、明倫中学、中央大学講師などを歴任し、41年大成中学校長に就任、傍ら愛知社理事として育英事業に尽力した。著書に「日本文学史」(共著)、「日本中文典」「日本小文学史」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高津鍬三郎」の解説

高津鍬三郎 たかつ-くわさぶろう

1864-1921 明治-大正時代の教育者,国文学者。
元治(げんじ)元年10月生まれ。明治23年一高教授,27年より帝国大学文科大学助教授を兼任。のち文部省図書審査官,大成中学校長などを歴任した。大正10年11月23日死去。58歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。帝国大学卒。著作に「日本文学史」(三上参次との共著),「日本中文典」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の高津鍬三郎の言及

【日本文学】より

…【加藤 周一】
【研究史――近代以降】
 明治初期の日本文学研究は,近世国学の継承・踏襲にとどまるものであった(近世までの研究については〈国学〉〈歌論〉などの項を参照)。1890年,北村透谷により,〈文学史の第一着は出たり〉と評された関根正直《小説史稿》,および三上参次・高津鍬三郎《日本文学史》という新動向をみるものの,〈国学〉が近代科学として再編成されるのは,明治30年代の芳賀(はが)矢一においてである。芳賀は1899年《国文学史十講》で以後の文学史叙述の一範型を示し,翌年からのドイツ留学の成果を〈日本文献学〉の名で体系化した。…

※「高津鍬三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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