高見弥一(読み)たかみ・やいち

朝日日本歴史人物事典 「高見弥一」の解説

高見弥一

没年:没年不詳(没年不詳)
生年天保5(1834)
幕末薩摩(鹿児島)藩英国留学生。土佐国(高知県)に生まれ,土佐藩からの留学生として薩摩藩開成所蘭学を学ぶ。開成所諸生のとき,薩摩藩英国留学生15人の中のひとりに選ばれる。藩外から選ばれた者は他に1名あるのみであった。この留学は密航であったため,松元誠一と改名し,慶応1(1865)年に出航,ロンドン大学で海軍測量術を専攻する。ロンドンでは森有礼と共にロンドン大学化学教授グレイン博士の家に寄宿していた。翌2年6月下旬,日本国内の情勢変化などによって学資が不足し,藩の要請で他の5名と共に留学途中で帰国した。以後消息は不明である。<参考文献>公爵島津家編纂所編『薩摩海軍史』中

(米山光儀)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高見弥一」の解説

高見弥一 たかみ-やいち

1834-? 幕末の武士
天保(てんぽう)5年生まれ。土佐高知藩士。鹿児島藩が開設した開成所にはいり蘭学をまなぶ。元治(げんじ)2年松元誠一の変名で鹿児島藩イギリス留学生の一員となる。ロンドンで機械学と海軍測量術などをまなび,慶応2年帰国した。その後の消息は不明。

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