日本歴史地名大系 「高道祖村」の解説 高道祖村たかさいむら 茨城県:下妻市高道祖村[現在地名]下妻市高道祖小貝(こかい)川左岸にあり、南は柳原(やなぎはら)村。中世は田中(たなか)庄・下妻庄の域内にあったといわれ、戦国期末には多賀谷氏領であったらしく、多賀谷氏麾下の白井全洞在住伝承が残る。元禄郷帳の村高は一千七四石余、天保郷帳では一千四四二石余に増加する。幕末は天領一七二石余、旗本佐々木氏領七四二石余、今村氏領一四一石余、森川氏領八二石余、三枝氏領六四石余、朝比奈氏領五六石余、飯田氏領三石余、永井氏領一石余、下総佐倉藩領分二六二石余、常願(じようがん)寺領五石余(各村旧高簿)。元治元年(一八六四)七月に水戸天狗党と下妻町に駐屯していた幕府軍が当村の原(はら)で衝突、天狗党はいったん敗走したが、八月に入って再び下妻に進撃し、その途次に村内の常願寺を焼払っている(下妻市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by