桜塚古墳群(読み)さくらづかこふんぐん

日本歴史地名大系 「桜塚古墳群」の解説

桜塚古墳群
さくらづかこふんぐん

[現在地名]豊中市中桜塚一―四丁目・南桜塚一―三丁目・岡町北一―三丁目

豊中台地上に形成された古墳群で、明治年間の絵図によれば三六基を数えるが、現在では五基が残るにすぎない。古墳群は前方後円墳円墳・方墳で構成され、分布状態からみると、東西二群あるいは東・中・西の三支群に分れる。これまでになんらかの発掘調査が行われた古墳は五基を数え、主体部が判明しているものはほとんどが粘土槨である。明治の絵図には型式までは明らかにしえないが、墳丘上に露出した石棺を描いたものがある。古墳群の築造時期は、出土遺物の年代観などから求めると、古墳時代を三期に分けた場合、前期後半に始まり、中期を主とした時期に形成されたということができよう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「桜塚古墳群」の解説

さくらづかこふんぐん【桜塚古墳群】


大阪府豊中市岡町・中桜塚・南桜塚に分布する古墳群。豊中台地の中央、標高20~25m付近の段丘上に立地する。古墳時代前期末から中期の古墳群で、明治時代の絵図によると、かつて36基の古墳で構成されていたが、現存する古墳は5基。近畿地方を代表する古墳群の一つであり、古墳時代中期の在地豪農の実態ならびに近畿の歴史を理解するうえで重要なことから、西群最大の大石塚(おおいしづか)古墳と小石塚(こいしづか)古墳が1956年(昭和31)に国の史跡に指定、続いて、東群の大塚古墳、御獅子塚(おししづか)古墳、南天平塚(みなみてんびんづか)古墳が追加指定され、名称も桜塚古墳群となった。大石塚古墳小石塚古墳は、並んで立地する前方後円墳で、4世紀末ごろの築造と考えられている。南側の大石塚古墳は3段に築成され、全長約80m、後円部径48mという群中で最も大きな古墳で、墳丘には葺石(ふきいし)がみられ、墳丘の平坦面には円筒埴輪(はにわ)と朝顔形埴輪が配されている。小石塚古墳は2段築成で、全長49m、後円部径29m、前方部幅21m。大塚古墳は3段築成の円墳で、直径56m、周囲に幅12mの濠がめぐる。御獅子塚古墳は大塚古墳の南側にあり、全長55mの前方後円墳で、周濠を含めると70m。2段築成で、墳丘には葺石や埴輪が確認された。南天平塚古墳は御獅子塚古墳の南方に所在し、全長28mの帆立貝形前方後円墳と推定される。各古墳からは鉄製品が多量に出土し、とくに甲冑などの武器、武具類の保有量やその内容が注目されている。大石塚古墳へは、阪急電鉄宝塚本線岡町駅から徒歩約3分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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