20世紀日本人名事典 「高野六郎」の解説 高野 六郎タカノ ロクロウ 大正・昭和期の公衆衛生学者,衛生行政家 厚生省予防局長。 生年明治17(1884)年9月3日 没年昭和35(1960)年12月15日 出生地茨城県 別名号=青坡 学歴〔年〕東京帝国大学医科大学〔明治42年〕卒 学位〔年〕医学博士 経歴伝染病研究所、北里研究所の技師となり、のち第3代の北里研究所所長となる。また慶大医学部教授として衛生学細菌学講座を担当。大正12年内務省予防課長となり、伝染病の広汎な分野で治療施策をした。昭和13年厚生省の発足とともに予防局長となり、また警察講習所講師として衛生思想の普及につとめた。のち北里研究所顧問、藤楓協会理事長などを歴任。著書に「伝染病学及衛生学」「健康読本」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高野六郎」の解説 高野六郎 たかの-ろくろう 1884-1960 大正-昭和時代の公衆衛生学者。明治17年9月3日生まれ。慶大教授をへて大正12年内務省予防課長,昭和13年厚生省予防局長。結核,ハンセン病などさまざまな分野での予防施策をおこなう。のち北里研究所長。昭和35年12月15日死去。76歳。茨城県出身。東京帝大卒。著作に「伝染病学及衛生学」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by