日本歴史地名大系 「高野平村」の解説 高野平村こうやびらむら 長崎県:長崎市高野平村[現在地名]長崎市高平町(たかひらまち)・愛宕(あたご)一―四丁目・弥生町(やよいまち)・桜木町(さくらぎまち)・風頭町(かざがしらまち)・鍛冶屋町(かじやまち)・油屋町(あぶらやまち)伊良林(いらばやし)村の南にある。南東部の文筆(ぶんぴつ)峰とも称される愛宕山は長崎八景または長崎一二景に数えられ、一日に七ヵ所の山をめぐる七高山めぐりの一山(寛政九年「長崎歳時記」)。はじめ大村藩領で、慶長一〇年(一六〇五)より幕府領で長崎代官支配となる。同一九年当郷に大光(だいこう)寺、元和九年(一六二三)清水(きよみず)寺が開創されたというが(長崎志)、これは長崎市中に接するためで、同寺などはのちの寺(てら)町のうち。正保国絵図に高屋平村として高七五石余。元禄国絵図にも村名がみえる。延享二年(一七四五)「高野平村」の長右衛門が寄合(よりあい)町で喧嘩、手鎖・所預に処されている(犯科帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by