高野溝添古墳(読み)たかのみぞぞえこふん

日本歴史地名大系 「高野溝添古墳」の解説

高野溝添古墳
たかのみぞぞえこふん

[現在地名]古川町高野 溝添

古川盆地みや川左岸には、北から信包のぶか古墳群・中野なかの古墳群・高野古墳群がそれぞれ二キロ余の間隔をおいて形成されている。高野古墳群は古川盆地の中央部、古川町中心街の西方の宮川左岸段丘から西南西に入る谷間に形成された一群で、谷の入口に当古墳がある。昭和四五年(一九七〇)確認され、高野古墳群中唯一の前方後円墳である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む