高野陵(読み)たかのりよう

日本歴史地名大系 「高野陵」の解説

高野陵
たかのりよう

[現在地名]奈良市山陵

狭木之寺間さきのてらま陵の西にある前方後円墳。文久三年(一八六三)孝謙(称徳)天皇高野陵に治定されている。全長一二七メートル、後円部径八四メートル、前方部幅七〇メートルの墳丘は三段築成で、狭い堀をめぐらしているが完全ではない。

同天皇は宝亀元年(七七〇)八月四日に没し、山陵は故式部卿鈴鹿王の旧宅の地に役夫六千三〇〇人を動員して作られたことが「続日本紀」にみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報